各機の思い出

 ここでは、パイロット時代からこれまでに私が操縦を経験した航空機についてのインプレッションを、
順次ご紹介します。

※ここでご紹介する文面は、機種によっては10年以上前の経験であることや、飛行時間につきましてもコメントするのに
十分な時間を飛行していないケースもありますので、あくまでも一個人の私見としてご覧頂ければ幸いです。


T-3初等練習機       

航空自衛隊が使用しているレシプロ単発の初等練習機で、私が初めて操縦を経験した航空機ということもあり、思い出深い機体の一つです。最初にT-3を操縦したのは航空学生の第3次試験での適性検査の時で、当時私はまだ19歳でした。
本機による本格的な教育を受けたのは、航空学生教育隊の2年間に及ぶ地上教育が終了してからの事です。
T-3の印象は、機体が小さいながらもパワフルであること、そして操縦特性が素直であることの2点です。
T-3は、航空自衛隊でも使用されたアメリカの傑作練習機T-34Aメンターをベースに、富士重工が各種の近代化を図るため、出力向上型エンジンへの換装、アビオニクス(搭載電子機器)の更新等を行なった機体で、基本的なエアフレームは変わっていないため、T-34Aの素直な特性を受け継いでいます。しかしながら、エンジン出力が225hpからスーパーチャージドの340hpと実に50%もパワーアップされているため、プロペラ機特有のジャイロ効果やトルクの反作用、トルクの不均衡荷重等の特性が顕著で、特に高出力かつ低速域でのラダー操作が難しい機体と言えます。
確実にラダーをコーディネートさせ、ボールを滑らさない様な完璧な操縦を行なうまでには、教育を受ける70時間程度では少ないのかもしれません。一見、容易に見えて奥が深いのがプロペラ機なのです。
ただ、学生にはそこまでの練度は要求されず、一般的に14時間程度の訓練で単独(ソロ)飛行を実施するまでになります。そして各種のアクロ飛行(ループ、バレル・ロール、キューバン8等)や、航空自衛隊の基本テクニックともいえる編隊飛行、そして航法、計器飛行等、多彩な課目を訓練します。
このT-3も導入から20年余りが経過し、後継機が必要となってきました。そこで防衛庁で機種選定を実施した結果、ピラタス社のPC-7を破って富士のT-3改が選定されました。T-3改では、エンジンがターボ・プロップ化されて出力が450hpに向上しています。T-3(KM-2)系列の機体としては、一足先に海上自衛隊のT-5でターボ・プロップ化が行なわれていますので、その技術がフィード・バックされたT-3改には、主翼と後胴にT-5と同等のパーツが使用されています。ただ、今回の機種選定ではコストが重視されたためか、コクピット周りはT-3のものがそのまま流用されています。もちろん構造などは強化されていると思いますが、今後20年以上使用されることを考えると、その古さは否めません。T-5の時はキャビン周りも新規に設計されたため、あまり違和感はありませんでしたが、T-3改の原型機を見ると、後胴から各翼にかけてのラインとコクピット周りとの造型は明らかにミスマッチで、まるで一昔前の改造車を見ているかの様です。予算さえあればその位の改良は簡単に出来るのでしょうが、せめてキャノピー周りは改設計して欲しいものです。
ただ、デザインより重要な点として、エンジンの高出力化に際して良好な機体特性が確保出来るか否かという点が挙げられます。米海軍でもT-34をターボ・プロップ化したT-34Cターボ・メンターがありますが、400hpという高出力エンジンのパワーとその搭載による機首の延長などに伴い、安定性やスピン特性の確保のため、たまらずベントラル・フィンや水平尾翼ストレーキ等を追加しています。T-5から一気に100hp(T-34Aからは何と2倍)もパワー・アップが図られたT-3改が直面する問題は決して少なくないと予想され、ここは富士重工の腕の見せ所となります。
T-3改が学生にとって優れた教育用機となることを期待しています。
それにしても、T-3改を見ていると1950年に原型機が初飛行したT-34の面影が、未だ色濃く残っています。半世紀が経過した現在、その基本設計がここまで受け継がれていくことになるとは、ビーチ社のエンジニア達は誰も想像しなかった事でしょう。


T-1A初等ジェット練習機   

航空自衛隊の初等練習機として開発された、戦後初の国産ジェット機です。初飛行からは既に40年余りが経過していますが、つい最近まで福岡県芦屋基地の第13飛行教育団で教育に使用されていました。現在は後継機のT-4にその座を譲りましたが、まだ少数機が術科学校などで運用されています。
T-1の印象は、初めて操縦したジェット機という事で、その上昇・速度性能の高さは、特に印象に残っています。またフライトした感覚もスムーズで、操縦特性もいたって素直なのですが、それはT-1のシンプルで美しいフォルム(機体形状)が証明しています。
舵の効きが良く、機体のレスポンスもシャープで、さすがはジェット機といった感じです。ただ、操縦系統は人力なので300kt以上の速度域では舵が重くなってくるのが難点です。
それにしても、ジェット・エンジンや射出座席、そして酸素系統(マスク)など初めて操作するものが多く、戦闘機の世界に一歩近付いた様な気がして嬉しかったのを覚えています。
T-1には、英国のオルフュース・エンジンを搭載したA型と、国産のJ-3エンジンを搭載したB型があります。基本的に、A型はパワフルでスロットル操作に対するレスポンスも良く、一方のB型は燃料消費率に優れているという特長があります。B型は通常増槽を使用しなくても済むため、機体重量・抵抗が少なく、スラスト(推力)の不足分を補うことができるため、実際運用する場合にはA型とB型の性能差は殆ど無く、訓練時に編隊飛行を組むことも容易となっています。しかし、エンジン始動手順などが若干異なるため、学生教育で一人の学生がA型とB型を混用する事はありません。
私にはA型がアサインされたため、そのパワフルなエンジンを堪能することができました。特にタッチ・アンド・ゴーからクローズ・パターンのトラフィックに入る際、離陸後すぐに大きなピッチやバンク角が取れる事は実に感動的でした。
訓練課目は基本的にT-3で実施した課目の発展形で、特に計器飛行や編隊飛行の割合が増えており、より本格的な内容が演練されます。
アクロ課目では、速度や高度、方位といったパラメータが目まぐるしく変化し、また"G"も連続的にかかる様になり、レシプロ機のT-3から飛躍的に拡大したフライト・エンベロープを実感する事になります。
あらゆる面で初体験尽くしのT-1の印象は、必然的に良いものとなっています。その後に経験した航空機などによる新たな価値基準が確立された後で考えてみても、操縦の容易性や飛行性能など初等練習機としてのバランスに優れた機体であり、傑作練習機と言っても過言ではないでしょう。我が国において同機の輸出は不可能な状況でしたが、仮に海外に輸出されていたとしても、高い評価を得ることができたと思います。
いずれにしても、T-1を通じて当時の日本の航空技術の高さを実感する事ができたのは、貴重な体験となりました。


T-33Aジェット練習機   

航空自衛隊が創設期に導入した機体で、日本をはじめ世界各国で使用された傑作ジェット練習機です。現在は後継機のT-4にその座を譲りましたが、2000年に退役するまで40年以上の永きにわたって使用されました。
T-33Aは朝鮮戦争で活躍したロッキードP-80戦闘機がベースとなっており、米国より供与された機体には、その名残りとして機銃などの武装を施す事も可能でした。
同機は太い胴体に直線翼、そして翼端に大きなチップタンク(増槽)という、ジェット機の原点ともいえるスタイリングで、今となっては珍しい遠心圧縮式のJ33ターボジェット・エンジンを装備していました。実際に自分が操縦教育を受ける際に同機のインテークを覗いた時、ファン・ブレードではなく補機類しか見る事ができず衝撃を受けたのは、今となってはいい思い出です。
推力対重量比でみるとT-1Aより劣っていますが、運用限界は高度45,000ft、速度マッハ0.8(505kt)、制限荷重は+8.0〜-3G(クリーン形態)で、練習機としてはまずまずのパフォーマンスを持っています。
しかし操縦は難しく、特に着陸操作は多くのパイロット達を泣かせてきました。安全に接地可能な速度域が95〜100ktと極めて狭い上に、その速度域でのエレベーターの効きが悪く、更にはノーズ・ヘビーの傾向も強いため、十分な返し操作(接地姿勢の確立)を行なわないと、落着や危険なポーポイズ運動に入る可能性があります。
T-33Aは教育用途以外に、各部隊でも連絡や支援任務などに使用されていましたが、たまに乗る部隊の一人前のパイロットより、毎日の様に同機に乗る学生の方が着陸が上手いと言われるほど、着陸には気の抜けない機体でした。それは、まるで老練な師について武道を習得するかの様です。
ただ難しい反面、それを乗りこなした時の喜びは大きく、また大きな自信にもつながったのも事実です。
なお、同機の操縦で特徴的なのは、エルロン系統のみにハイドロ(油圧)ブースターが装備されているので、縦と横との舵の重さのバランスが独特で、横方向の反応が過敏に感じました。ただ翼端の増槽のマスもそれなりにあるため、慣れてしまえばそれほど苦になりませんでした。基本的に上空では安定しており、飛行諸元の変化も少ないため、ナビゲーションではT-1Aの時よりも諸元の保持が容易だと感じました。
なお、特筆すべき飛行特性としては、脚を下ろすと機体が左に滑るという特性がありますが、ラダー・トリムが装備されていないため、脚下げ時には常にラダーを右に踏んでいる必要があります。通常のトラフィック・パターンであればそれほど長い時間ではありませんが、計器飛行でGCAやTACANアプローチ時には結構辛いものがありました。
また、計器類の古さにも泣かされました。T-33Aの教育課程では計器飛行証明を取得するため、これまでの課程に比べて計器飛行訓練が多いのですが、自機の位置の把握に必要な計器類が全く統合されていないため、クロスチェックが非常に大変でした。これまでに操縦教育を受けた機体で一番進んだ計器を装備していたのが、皮肉にも最初に操縦したレシプロ練習機のT-3でした。
また、計器のプリセッション(誤差の一種)も大きいため、事前に狂う傾向を把握しておき、それに基づいて操作するという裏技的な技量も要求されました。
今ではT-4で教育が行なわれていますが、これらの苦労は一切ないため、学生は純粋に技量の向上を目指して行く事が可能となっています。ただ、近年では戦闘機でさえ操縦は優しくなっているため、あえて旧式の癖の強い機体でトレーニングする必要はないのかもしれません。しかし、純粋に自分の経験としてT-33Aを操縦できた事は、今となっては良かったと思っています。
最近、あるフランスのベテラン・パイロットと話す機会がありましたが、彼もT-33Aでは苦労した様で、私もT-33Aで教育を受けたと言ったところ、非常に喜んで私を一人前のパイロットとして認めてくれました。
今や、こうした職人芸が必要な航空機は少なくなってきました。


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